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高澤秀次「青山真治氏を悼む」
青山真治氏を悼む
 
  高澤 秀次◇◇
 
 熊野大学夏期セミナーの講師・コーディネーターとして、夏の熊野に新風を吹き込んで下さった青山真治さんが、食道癌により57歳の若さで先頃逝去されました。映画作品としては2020年公開の『空に住む』が遺作となりました。『Helpless』(1996年)、『EUREKA』(2000年)、『サッドヴァケイション』(2007年)と続いた北九州サーガが永遠に途絶えてしまったことが残念でなりません。

 青山氏と筆者との最初の接点は、2001年のドキュメンタリー『路地へ―中上健次の残したフィルム』で、これは氏のフィルモグラフィーの中でも、異色の短篇作品でした。中上の死の翌年の1993年、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組(『作家中上健次−死から一年、熊野からの報告』)に企画・コーディネーターとして参加した私は、スタッフとともに、「路地」の解体再編期に撮影された、部落青年文化会の活動の所産としての記録映像に接する機会を得ました。16ミリフィルムでの映像は、すでにビデオに落とされておりオリジナル・フィルムは見つからなかったのですが、この番組を見た青山氏が中上かすみ夫人を介して、先の短篇制作に当たって私にコンタクトされたのだったと記憶します。

 ロカルノ映画祭にも出品された『路地へ』には、この貴重な1970年代末の「路地」の記録映像が引用されており、そこには熊野大学創生期の俳句部会を仕切った松根久雄さんも映っています。『路地へ』は2000年の熊野大学夏期セミナーでも試写上映され、青山氏は盛夏の新宮から、その足でロカルノに旅立たれたのでした。

 青山氏の映像作家としての原点は、立教大学時代、黒沢清、周防正行両氏とともに蓮實重彦の「映画表現論」の講義を受けたことでした。2011年には蓮實・黒沢・青山の共著『映画長話』も刊行されています。出世作『Helpless』では、『博多っ子純情』(曽根中生監督)の主役・光石研を久々にスクリーンに召喚、その後彼は同じく青山監督作品『共喰い』(2013年)で、浜村龍造的無頼の父親像を見事に演じました。『EUREKA』に起用された役所広司も光石同様、北九州コネクションの配役でした。下関に舞台を移した『共喰い』(原作・田中慎弥)では、無名に近い菅田将暉(光石の息子役)を主役に抜擢するなど、青山氏は演出家としても非凡な手腕を発揮されました。

 一方、小説では『雨月物語』、『サッド・ヴァケイション』などの代表作を残しています。青山氏はかなり以前から、糖尿病のため筆者とよく遭遇した新宿の酒場からも足が遠のき、ここ数年はお目にかかる機会もありませんでしたが、一昨年は7年ぶりの新作『空に住む』で久々にその健在ぶりを示してくれました。熊野で新宿で、酔眼の好漢・青山真治ともう会えないことが、そして中上健次についてもう語り合うことが出来ないことが無念です。映像作家として、小説家として有り余る可能性を残しながら。

 なお、青山真治の『Helpless』は東京中央区京橋の国立映画アーカイブで4月14日6:30pm、5月1日1:00pmから上映が予定されています。これは青山氏の生前から決まっていたプログラム(「1990年代日本映画―躍動する個の時代」)で、まさに『Helpless』は映像的90年代の幕開きを告知する作品でした。

 
詳細>>「Helpless」(「1990年代日本映画――躍動する個の時代」)
 
アクセス>>国立映画アーカイブ 
 (2022年3月31日)

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