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高澤秀次「追悼:坂本龍一と中上健次」
追悼:坂本龍一と中上健次
 
  高澤 秀次◇◇
 
 大江健三郎に続き3月28日に逝去された坂本龍一氏への追悼文を寄稿します。まずは前回の補足です。冒頭で初期大江の文体と、それが中上に与えた影響について論評しましたが、小島信夫がかつて『私の作家評伝』で、大江に関する興味深い文体論を展開しているので紹介します。小島は大江の文章を評して、「何重もの副詞や形容詞に守られている」ことを指摘しています。これは大江論として書かれたものではなく、「不易の人/岩野泡鳴」の一節にある文章です。

 「大江という人が松山の奥の肱川(ひじかわ)上流の、あの「おはなはん」(註、1966年のNHK朝ドラのタイトル)と結びつけられてすっかり有名になった大洲(おおず)の、そのまた奥の山間に少年時代を過して、だんだん中央へと出てくるにつれて、防備のために一つずつ形容詞や副詞をつけてきた様子が、しのばれる。彼は中央へ出るにしたがって外国文学をとり入れた。こうして彼の形容詞や副詞はきわめて外国文学ホンヤク風になっている。それはインギンでどこか不遜で、何ものかを茶化したように見える」

 これが第三の新人・小島信夫にとってのヤンガー・ジェネレーション、大江文体への批評だ。さらに小島は、「大江の中に昔の藤村の文体を見る思いがした」と述べ、「地方出身の山国の人が外国文学を受け入れると、ああいうぐあいになる」と結論する。

 では何故、中上健次はそうならなかったのか。形容詞や副詞を極力排除した、一見、無骨で無防備な文体の秘密は、中上が大学に行かなかったからではなく、紀州・新宮がただの「地方」都市ではなかったからだ。でなければ、大逆事件であれだけ新宮が権力に睨まれることもなかったはずである。大石誠之助とその一族が、ただの田舎者ではなかったように、中上健次もまた熊野の海・山・川という、特異な宇宙モデル(しかも「路地」を背負った)に育てられた作家だった。

 モダンジャズの影響による、即興演奏の反復的なコード進行にとって、余計な形容詞や副詞は、ポリフォニーを妨げるノイズでしかなかっただろう。

 もう一つ、前回は大江の『セヴンティーン』から中上の『十八歳』、そして『十九歳の地図』への転回について触れたが、そこからまた尾崎豊の『十七歳の地図』が生み出されたことも付け加えておく。実際に私は、尾崎に触発されて中上の読者になった学生を教えたことがある。

 さて、坂本龍一です。彼は2019年の熊野大学夏期セミナーのメインゲストに予定されていましたが、折からの台風により開催中止となり、その後もコロナ禍で新宮に来るチャンスはありませんでした。2019年には、新宮入りに備え熊野市でスタンバイしていたとも聞きます。もしこのイベントが実現していれば、熊野大学開設いらいの大盛況となったことでしょう。

 坂本氏は中上健次とも生前、親交がありました。活字に残されているものとしては、『On the Borderオン・ザ・ボーダー』所収のエッセイ『坂本龍一 金属神に仕える現代のシャーマン』、対談『音は神、そしていま甦る新たなる異神』、柄谷行人、青野聰を交えた四人による座談会『「戦後文学」は鎖国の中でつくられた』(『中上健次〔未収録〕対論集成』)、そして対談『三島由紀夫の「復活」』(『中上健次発言集成2』)があります。

  先のエッセイで中上は、「〈Avec Piano〉(註、大島渚『戦場のメリークリスマス』のための映画音楽のヴァリアント)を出したばかりの坂本龍一から私に聴こえてくるのは、その当時の熱狂とどこかで通底しながらそれを鍛錬によって抑圧したシャーマンのような感性である」と語っている。

 YMOのテクノ・ポップには見向きもせず、「金属神につかえるシャーマンとして、立ち顕われた」個体としての坂本龍一に注目したところが、中上流である。

 「時代にかたちというものがあるなら、今、張りつめたシャーマンの感性を持って〈Avec Piano〉を出し金属神と共にいる受苦の恍惚を描いた坂本龍一である」

 中上死後の熊野大学との接点では、2000年の夏期セミナーで試写上映した故・青山真治監督作品『路地へ 中上健次の残したフィルム』の音楽を担当したのも坂本龍一だった。

 ところで坂本氏の父上は、河出書房新社の名物編集者・坂本一亀さんだった。通称ワンカメさんで、私も一度だけお会いしたことがある。場所は旧・新宿厚生年金会館裏にあった文壇バー「英」(その後、四谷三丁目に移転)で、カウンターで中上さんと二人で飲んでいると、どんな会合の流れか『文藝』の歴代編集長がお揃いで入って来たのだ。1980年代の終わり頃だったろうか。

 ワンカメさんの他に、寺田博(『枯木灘』連載時の編集長)、金田太郎(『千年の愉楽』連載時の編集長)両氏らである。寺田さんは河出を退社した後、福武書店に移られ文芸誌『海燕』を創刊、中上の単行本では『時代が終り、時代が始まる』、『バファロー・ソルジャー』の2冊を刊行、金田さんはトレヴィルに移られ『On the Borderオン・ザ・ボーダー』を出している。

 坂本一亀さんはと言えば、高橋和巳の育ての親(長編処女小説『悲の器』は第一回文藝賞受賞作)のような人で、直接の担当編集者は私の恩師で、後に歌壇の重鎮になった佐佐木幸綱氏だった。文学にも造詣の深かった坂本龍一には、明らかに父・一亀の文学的なDNAも正統に継承されていたはずである。

 今年の正月、恒例のNHK FM放送の『ニューイヤー・スペシャル』(4月8日に再放送)で聴いた坂本さんの声は、確かに力がなかったが、闘病中も精力的に仕事をこなされ、2024年の同番組での再会を約束して放送を終えられたのだった(合掌)。
 (2023年4月9日)

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